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Yoshikazu Jumei

Wigmore Hall

The fine japanese pianist Yoshikazu Jumei is a rare visitor to London, but his reputation certainly preceded him for his recital at Wigmore Hall on January 27, given in aid of the victims of the 2011 tsunami in Northern Japan in association with the British Red Cross. Three works in his programm stood out: Brahms's Variations on an original theme, Opus 21 no 1; Schumann's Humoreske and Rachmaninoff's big set of Variations on a theme of Chopin, the Russian master's Opus 22: all three highly pianistic as one might expect in their inspiration, but equally challenging in different ways.

 Of those works, it was the Rachhmaninoff which received the most compelling account, although the pianist's approach to Brahms and Schumann was notable for a somewhat unstated underlying pulse, betokening an uncommonly thoughtful and penetraiting mind. But Yoshikazu Jumei was most deeply impressive in Rachmaninoff's Chopin Variations ー a very fine performance to end a memorable recital.

Alexander Leonard  Musical Opinion

Yoshikazu Jumei

Yoshikazu Jumei rarely gives piano recital in the West. Opening with Brahms's Variations on an Original Theme, Opus 21 No.1, he brought out the bass sonorities with a suitably weightly touch and, trading on the angular ruggedness of the harmonies, let this understated work unfold at a leisurely pace. He adopted a similar strategy with Schumann's Humoreske Opus 20, whose ideas have an improvisatory momentum.

 In its kaleidoscope of moods, Schumann's rasch(rapid)and immer lebhafter(increasing lively)came over convincingly, but there was no hint of his zart(tender)or innig(inward): was Jumei simply too tense to respond to the composer's instruction? I guess so, because with the final work in his programm, Rachmaninov's Variations on a theme of Chopin, Opus 22, the shading and ornamentation were handled with such grace and charm that one could at last see why this man is such a big pianistic voice in his native Japan. Three encores followed - virtuoso pieces by Godowsky - which set the seal on things: this initially dour creature had come out as an entertainer.

By MICHAEL CHURCH  THE INDEPENDENT


寿明義和

寿明は、芯のある美しいタッチとパワフルでありながらも緻密にコントロールされたテクニックをもち、技術的にも音楽的にも極めてレヴェルの高いスケールの大きな演奏を聴かせていた。ゆるぎない楽曲の把握と構築性や構成力に富んだアプローチを特色とした彼の演奏は、ドイツ的といえるカテゴリーに分類されるべき傾向を顕著に示してい半面、ドイツ的という形容詞から連想される武骨さやいかめしさには無縁であり、その男性的で堂々とした表現のなかに独特の繊細さやデリカシーをも違和感なく共存させ、非常に個性的で魅力的な芸風を打ち出していた。粒の揃ったタッチで綴られたモーツァルトは、その隙のない表現のなかに高貴な歌を豊かに滲ませており、シューベルトに示された香気に溢れる熟成されたロマンティシズムの発露も、筆者を強く惹き付けた。リストでは、ソナタの一部で少し打鍵の粗さが認められたことも否めないが、強靭なテクニックを唸らせた彼のメリハリの効いた表現は、圧倒的なアピールを生んでいたといってよいだろう。非凡な資質をもった日本人には珍しい本格派の大型ピアニストであり、今後の活動を注意深く見守っていきたい。(2011年12月19日東京文化会館小ホール) 柴田龍一 ムジカノーヴァ

寿明義和 ピアノリサイタル

 まず最初にモーツァルト後期のソナタ、ニ長調K五七六、初めは指のすべりがやや悪かったが、すぐに調子は良くなり、モーツァルトらしいニュアンスと音楽性抜群の演奏となって、このピアニストの資質の素晴らしさをうかがわせた。第二楽章がことにロマンティックな表現だったのは印象的。続いてシューベルトの最後の三大ソナタの1曲目、ハ短調D九五八、やはり第二楽章(遅い楽章)の起伏、激しい振幅が印象的で、第三楽章は表現のせいでやや流れが淀む箇所もあったが、第四楽章、やや破綻があるも勢いが素晴らしく、シューベルトの鬼気迫る感じが良く出ていた。後半はリスト・プログラムで、「エステ荘の噴水」「メフィスト・ワルツ第1番」「ソナタ・ロ短調」。前半に見せた資質は、実はこの人がリスト演奏にひじょうに良い相性を持っていたことの現われであったか、と納得。ヴィルトィオーゾ性、輝かしいアルペジオ、迫力と繊細な抒情性の一致、存分にリストを楽しめた演奏だった。(2011年12月19日 東京文化会館小ホール) 倉林 靖 音楽現代

寿明義和p

 そろそろ中堅クラスの寿明。技巧には安定感と、知的で色香のある解釈。聴く楽しみを掻き立てられるピアニストの一人だ。まずモーツァルト「ソナタ」K576。第1楽章のテンポの揺れは心拍の影響か。しかし全編、微妙な匙加減でロマン派のような表現が魅力的。音楽の温度も温まり、シューベルト「ソナタ」D958。何より感心したのが構成力。隙がないほど読譜が成されており、各楽章とも、言うべきことをさらりと奏す。それでいて全楽章が一つにまとまる統一感。晩年の大ソナタ、微塵も退屈させない名演である。後半はリスト。前半であれほど美しかったロマンティシズムが、ここぞのところで半減。《エステ荘の噴水》《メフィスト・ワルツ第1番》とも淡泊に聞こえる。創りは巧みなのだが、ペダルの遠慮で効果が薄れた感。『ロ短調ソナタ』では一貫した主題を過度に出さず、自然な在りように好感。そこまでの熟慮に拍手。しかし当夜は以前よりも音が痩せた印象。音楽には多少の脂身も必要かと。(2011年12月19日 東京文化会館小ホール) 上田弘子 音楽の友

寿明義和p

当夜はコンサート・シリーズ『ピアノで紡ぐ物語~仲間と共に』第1回『詞のない唄たち』として、東彩子(vn)を迎えて開催された。メンデルスゾーンの「ヴァイオリン・ソナタヘ短調」op.4での2人は、音楽的な呼吸を見事に合わせ、ドラマティックな演奏に仕上げた。プロコフィエフの「5つのメロディ」op.35bisは、生気に富み、表情豊かであり、2人の耽美的な語り口が曲想に合っている。寿明のソロによるラフマニノフ「舟歌」「メロディ」「ヴォカリーズ(コチシュ編曲)」と、メンデルスゾーン『無言歌集』からの7曲では、ロマンティックな表現や、洗練された節回しが注目された。プロコフィエフの「ヴァイオリン・ソナタニ長調」op.94aについては、迫力のある東のヴァイオリンと、鋭さを強調した寿明のピアノが合体したなかで、2人がそれぞれに耽美的な表現を含ませ、演奏効果を高めた。(2009年1月16日・カワイ表参道・コンサートサロン「パウゼ」) 原明美 音楽の友

日本が誇る12人の俊英が登場!横浜市招待国際ピアノガラ・コンサート

寿明はミュンヘン国際コンクール第3位、ベルリン芸大、イモラピアノアカデミー卒業。ラフマニノフの『楽興の時』作品16を披露。技巧的かつエモーショナルな表現は、豊かな説得力を持って聴き手を魅了した。(2009年11月1日 みなとみらい小ホール) 横堀明美 月刊ショパン

コンサートを読む:寿明義和とシュタイアーのシューマン=梅津時比古

 ◇底にある悲しみを新しい形で

 せつない思いは、どこからやってくるのか分からない。シューマンの音楽がいつも突然始まっているように感じられるのはそれ故にだろう。ピアノ曲がとりわけそうなのは、許されていなかった恋人クララへの思いがうずいている時期に書かれたものが多いからに違いない。

 シューマンのピアノ曲への新しいアプローチを相次いで聴いた。

 寿明(じゅめい)義和のリサイタル(14日、浜離宮朝日ホール)では「フモレスケ」が取り上げられた。温かく明るい音色が際立つ寿明は、独特の音楽のつくり方をした。

 聴いていて、音楽が微小の単位ごとに歌っているように思える。それぞれが小さな歌曲のように、ミクロの世界で濃淡が描かれると同時に、それらが次々に重なり高まって、一挙になだれ落ちる豪快な側面も生まれる。

 そのなだれ落ちたあとの、わずかな音をほとんど止まりそうに歌うときに表れる渇望。会いたい、というシューマンの叫びが聴こえてきた。

 考えてみれば「フモレスケ」の作曲法は、まさにそのような刹那(せつな)の積み重ねからなっていたのだ。題名についてシューマンは「機知や情緒、耽溺(たんでき)など」と説明しているが、それはいわばさまざまな偽装であって、その元にはせつない悲しみの噴出があることを、寿明は明らかにしてくれた。

 シューマン自身そういう作曲法になんとか論理的な文法を持ち込もうとしていた。それを「バッハへのオマージュ」という視点から鮮烈に切り取ったのが、アンドレアス・シュタイアーのリサイタルであった(7日、トッパンホール)。

 細心の注意をもって選ばれた珍しいプログラミングからシューマンの志向が浮かび上がる。冒頭、「こどものためのアルバムOp.68」からの抜粋は、まるでバッハのコラールそのもののような第4曲「コラール」から始まる。直後に第14曲「小さな練習曲」が続けられると、それが「コラール」をややロマン的にときほぐしたものであることが明確に聴こえてくる。そのようにして意を尽くした選曲は、「スケルツォ、ジーグ、ロマンツェとフゲッテOp.32」「フゲッタ形式の7つのピアノ小品Op.126」「森の情景」「こどもの情景」と続き、耽溺を拒否した早めのテンポで演奏される。

 確かにシューマン自身、「バッハの平均律は私の文法書。フーガは最高の性格作品だ」という言葉を残し、苦しいときはバッハを分析して精神の安定を求めていた。だが、たとえば「孤独の花」や「予言の鳥」(「森の情景」)などが、フォルテピアノ(1826年製コンラート・グラーフのレプリカ)の繊細な美しい響きで弾かれると、そこに、バッハを崇拝しながらも、どうしてもそこからはみだしていかざるを得ないシューマンの情念がにじんでくる。

 ピリオド楽器の使用は通常、バロックや古典の特性を強調する。だがここでは、シューマンにおけるバッハの文法への志向を明らかにすることで、逆にシューマンにおけるロマン性がいかに彼の作品にとっての本質的なものであるかを表出する。

 寿明はある種本能的に、シュタイアーは極めて知的にシューマンに接近したわけだが、ともにシューマンの底にある悲しみを新しい形で見せてくれた。(専門編集委員)

毎日新聞 2008年11月27日 東京夕刊

寿明義和p

彼らしいプログラミングとその内容は、近年最も聴き応えがあった。

 シューベルト「ソナタ作品120」で先ず耳を捕らえられた。第1楽章のツボにはまるテンポ感には仄かに色気があり、ソナタ形式崩さずかつ大胆な発想も。全楽章とも関節を柔らかく駆使し、腕の重みと指の腹での微調整など、センスもさることながら、耳の良さと、積み重ねてきたからこそのテクニック。シューマン《フモレスケ》は、四季折々の描写のような風合いも。

 後半はショパン「バラード全曲」。全4曲とも名曲なのだが、個々がどうのというより寿明の演奏は4曲で一つというように、大きなソナタを聴いているよう。コントロールされた技巧からの、内声の深い彫りや残響をも利用するなど、一瞬も耳目を離さずドラマを聴かせた。(2008年11月14日 浜離宮朝日ホール) 上田弘子 音楽の友

技巧的かつエモーショナルで揺るぎない演奏 寿明義和ピアノリサイタル 

当夜の寿明は柔軟にして明快、響の豊かなタッチと明晰な音楽性により、技巧的かつエモーショナルな表現とインスピレーションにみちあふれたピアノを聴かせてくれた。いずれの曲もよく弾きこんであり、入念な準備の跡がうかがえた。シューベルトのソナタでは、主題をうまく歌わせ、実に魅力的であったし、シューマンの『フモレスケ』では、繊細さと大胆さをあわせもつ演奏の中に、ドイツ人に特有のゲミュートリヒ(心地よいくつろぎ)な心情が聴き取れた。ショパンのバラードも揺るぎない演奏。スケールが大きく、落ち着いたアプローチで、ショパンの感情の動きを巧みに再現していた。(2008年11月14日 浜離宮朝日ホール) 横堀明美 月刊ショパン

コンサート・ベストテン2008 原明美 音楽の友

寿明義和(P) (2008年11月14日/浜離宮朝日ホール) 

寿明義和ピアノリサイタル

当夜のリサイタルは、シューベルトの《ソナタ イ長調》作品120に始まった。寿明は、豊かな音楽性を発揮して堂々と歌い上げ、その演奏は、心地よい響きの空間を作った。シューマンの《フモレスケ》での彼は、揺れるように変化するシューマンらしい楽想の面白味を、巧みに表現した。リズミカルな快感が加わっていた点も注目される。

 プログラムの後半、ショパンの《バラード》全4曲もまた、表情豊かな演奏であり、寿明のドラマティックな構成力と、スケールの大きな表現力が光っている。また、絶妙なペダリングが、旋律の歌い方にさらなる美しさを加えていた。

 なお、どの曲にも、目立たぬとはいえケアレスミスが観られたことは惜しまれる。その音楽性が注目されただけに、より慎重な対処を望みたい。(2008年11月14日 浜離宮朝日ホール) 原明美 ムジカノーヴァ

寿明義和ピアノリサイタル

7年ぶりのリサイタルである。その間、機会あるごとにサロンなどで温めたというロマン派。今回、正面から挑むプログラミングだ。しかもシューマンは人前で弾くのは初めてという「フモレスケ」、そしてシューベルトはイ長調のソナタを選んだ。

 シューベルトでは、アンダンテの歌い方にその成果が如実だ。アレグロでガラッと気分を変え表現の幅を示す。シューマンはある意味、寿明には今回最大の山場。寿明は自在な動きに複雑な感情の起伏を絡め、豊かな技巧に裏打ちされた表現に手応えを感じる。それでもまだ乾いた表情が先行するのか、潤いのある響きを求めたい気持ちも偽らざるところ。

 ショパンのバラード全曲は申し分ない仕上がりだ。ト短調ではロマンティックな流れの中にも豪快さを失わず、第2番では速度の変化が対比的な表情を映し出す。続くシンコペーションの広がりにより気分の高まり、最後には大きな高揚感を築いて怒涛のような味わいにまで持ってゆく。次のステップが楽しみだ。(2008年11月14日、浜離宮朝日ホール) 宮沢昭男 音楽現代

広上淳一、充電を終え本格始動開始

筆者が聴いたのは23日。ベルリン芸術大学とイモラ国際ピアノアカデミーなどで研鑽を積んだ期待の新星・寿明が、難曲で知られるラフマニノフの3番に堂々と取り組み、的確なタッチと透明感溢れる音色を駆使して大器の片鱗を窺わせた。(2002年6月23日 オーチャードホール) 吉村 渓 音楽の友

大舞台を成功させた新たな地点に立った寿明が目指すものは? Pianist Interview

6月の東京・オーチャードホール。世界の広上淳一が指揮する新日本フィルとともに寿明が奏でたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、しばし呆然とするほどの素晴らしさだった。今後、彼はどこに向かうのか。

手塚美和 月刊Piano

なんでもランキング2002 諌山隆美 月刊ショパン

まず昨年10月の寿明義和(2001年10月31日東京文化会館小ホール)。鮮やかなピアニズムと誠実で内面的な追求が、感動に導く。

洗練と内面を優先、光る感性の注目株 寿明義和ピアノリサイタル 諌山隆美

 帰国して間もないこともあるのだろうが、ドイツで学んだこと、イタリアで学んだことそれぞれの良さを兼ね備え、実にいいピアノを聴かせてくれ、とても感心させられた。プログラム冒頭は、ベートーヴェンのワルトシュタインソナタ。この弾きにくいソナタを歯切れ良く正確であるばかりか、爽快で清潔なテクニックで、澱みや曇りのない鮮やかなピアニズムをもって表現していた。次に演奏したのはブラームスの4つの小品作品119.特に第1曲が秀逸で、吸い込まれそうな弱音が、前へ、後へと動こうとするニュアンスいっぱいのフレーズを作り、ブラームスの心境に肉薄する。続く第2曲にも、音色に対する試行錯誤が静かに訴えかけるエネルギーを生み、感動的な仕上がりを見せていた。一方4曲目はやや細身で重厚さに欠け、キズもあったのが惜しまれる。

 後半は、まずクライスラー=ラフマニノフから『愛の悲しみ』と、『愛の喜び』。少な目のペダルで清潔に捉え、メロディー、伴奏、装飾などその役割を明確に捉えて描き分け、実に洗練された演奏に仕上げてある。原曲の特徴と正反対のところでガンガン弾く演奏が多い2曲だが、この曲の理想的な実例が示されたというべきであろう。最後はムソルグスキーの『展覧会の絵』。一見すると淡々と弾き進んでいるようだが、実はとても大きな音楽を目指し、そしてそれを表面的ではなく内面にまで掘り下げようとする姿勢が強く感じられた。そのため魅力は専ら弱音で発揮され、さらに全体をやや地味にまとめる結果となっている。しかし、強烈な持続はないものの、随所に優れた感性をいくつも発揮して、彼ならではのピアノに仕上げていた。

 アンコールはラフマニノフの『V.R.のポルカ』。技巧に走らず、センスが光る好演だった。(2001年10月31日 東京文化会館小ホール)


寿明義和ピアノリサイタル 恵まれた資質に今後への期待ふくらむ

 全体的な曲の構成ということに関しては、良くまとまっていたと思うが、細部までいかに念入りに設計するかということが、結局はダイナミックな曲作りに貢献すると思う。響きに対する感性も、ロマンティックな資質も申し分ないが、そこを深く掘り下げて行く根気(というより十分な時間だろうか・・)と妥協のない表現への姿勢を、貫い欲しいと思う。・・というのもハッとさせられるピュアな感覚に何度も魅了されたからで、メカニックの快感を超えて、彼はもっと内面的な深みに、聴衆の耳を魅きつけることのできるピアニストなのではないかと思う。教職と演奏家の両立といった事情も含め、大器としての自覚を強く持って欲しいと、今後へ期待膨らむ。(2001年10月31日 東京文化会館小ホール) 雨宮さくら ムジカノーヴァ

寿明義和ピアノリサイタル

 今回リサイタルでは、古典派からクライスラーまで4作品を並べた。中でも後半、クライスラー「愛の悲しみ、愛の喜び」、ムソルグスキー「展覧会の絵」の演奏は、自身の持ち味を生かすものだろう。クライスラーでは得意の指の動きを披露し、編曲者ラフマニノフの自由で豪快な表現に迫る。

 ムソルグスキーの組曲では、寿明は幅のある表現を展開した。民俗的な旋律を挟みながら、「小人」ではグロテスクな表現で開始。かと思えば、「古城」では寂寞感を表現。さらに重々しい「牛車」に対しては、ひょうきんな表情の「ひなどり」を対比する不気味な「バーバ・ヤガー」から、終曲「キエフの大門」の演奏が圧巻となったのはいうまでもない。

 一方前半ベートーヴェンとブラームスには、よりドラマティックな展開と滑らかな流れを期待したい。(2001年10月31日 東京文化会館小ホール) 宮沢昭男 音楽現代

寿明義和ピアノリサイタル

若手らしい意欲的なプログラムで挑んだ今回のリサイタルだが、演奏も新人とは思えない堂々たるものだった。最初のモーツァルトのロンド二曲では細部をおろそかにしない丁寧な弾きぶりに好感。スクリャービンの24の前奏曲作品11は、各曲のスタイルの違いをうまく弾き分けながら、しかも全体を一つの大きな流れのうちにまとめ上げていた。

 そうした細部の表現と全体の構成力とのバランスの良さは、後半のブラームスのソナタ第3番でとりわけ発揮され、起伏に満ちた論理的な運びのうちに、作品のロマン的な情感を引き出して見事だった。強音がもう少したっぷりした響きで鳴るようになると、より大きなスケール感が得られるだろう。大器としての素質を充分に持ったピアニストとして、今後が楽しみだ。(1996年11月28日 浜離宮朝日ホール) 寺西基之 音楽現代

寿明義和ピアノリサイタル 清楚な語り口のピアニスト。将来が楽しみ

 寿明は、少し音量や響の厚みには乏しいのうらみを残しながらもなかなかよく訓練されたテクニックを持ち、輪郭の整った清潔で衒いのない表現を聴かせるピアニストである。良い意味で几帳面と言える清楚な語り口が好ましかった二曲のロンドでは、やや線が細い傾向が見出されたことも否めないが、ナチュラルで誇張のない素直な表現が光彩を放っていた。また、作品のオーソドックスな様式感の把握が実現されていたブラームスでは、同時にこのピアニストのテクニックの緻密さも発揮されることになり、この大作のごまかしのない再現が可能たらしめられていた。しかし、スクリャビンでは、時に表情の起伏の不足や表現力の弱さが露呈していたことも指揮される必要があるだろう。将来が楽しみな若手であり、順調に成長してくれるように期待したい。(1996年11月28日 浜離宮朝日ホール) 柴田龍一 ムジカノーヴァ